東京人の広島カープ応援奮闘記

東京人です。広島を好きになったのは、1986年の日本シリーズ、第1戦引き分けの後広島3連勝、後4連敗で敗戦したあの時です。家族は西武デパートが安売りをするので西武を応援していました。子供だった僕は「赤い方かわいそうじゃん」と思い、心の中で一人カープを応援していました。が、3連勝の後、4連敗。野球に興味のなかった子供でしたが、初めて真剣に見た野球で、怖さと魅力を覚えました。それ以後、野球の大ファンになりました。子供心に、カープが日本一になるまでカープを応援すると決めました。まだ日本一になっていません。もう一生カープファンです。 2連覇しました。僕の目標は広島黄金時代の到来です。毎年優勝争いに絡んで、そして優勝して、日本一になる。 東京人ですが、広島の試合はradikoで毎試合欠かさず聴いてます。テレビ中継があるときはもちろん見るし、毎年10試合近くはチケットを購入し観戦に行きます。 東京人の熱烈広島ファンの奮闘を辿るブログです。

2019年02月

「~非常識を常識に変える強い意思~」

『とくに野球に関しては、「常識」というものを僕は意識しない。僕のプレーを、「常識破り」とか、「常識から外れた」とかと表現していただくことがあるけれで、そもそも野球の常識って、どういうものなのだろう?』

菊池は確かに常識を外れている。特に守備位置。あの守備位置には最初僕もそれは違うだろと思った。しかし彼はプレーでその違和感を覆した。

彼は高校時代、礼儀に厳しい監督のもとで学んだ。高校時代はそんなに自分の意見を出さなかったと言う。高校時代とは違い、大学に入ったら相手がコーチでも「これ、意味があるんですか?」と素直に言ったと言う。

プロに入ってからも担当コーチには、違和感を覚えれば必ず自分の意見を知ってもらうようにしていると言う。

昭和の薫りの残る厳しい高校時代、自由度の増した大学時代、基礎を高校時代にみっちり叩き込んでもらって、大学時代は規格外のプレーにも積極的に挑んだ。それがカープのスカウトの目に止まった。

今現在カープでは、守備位置に関してはコーチに相談していると言う。「ベンチの指示だから、こうしてくれ」と返される事もあると言う。

高校時代でも、コーチや監督と衝突したことはある。高校時代の監督は長い監督生活の中でものを言ってきた部員は菊池だけだっと言う。やはり菊池は破天荒だと思う。

菊池の凄いところは、その衝突した相手との距離が近くなる事だ。カープに入ってからも、当時ヘッドコーチの高信二ともバトルしている。

課題や問題と向き合わないといけない瞬間、菊池は大きく分けて2つのタイプがいると思っている。悩んで考える人と、考えるんだけどまず行動しようという人。彼は後者だ。エラー(失敗)をしても考えて行動に移す。だから彼は止まらないのだろう。シーズン中は週に6日試合に出る。時間に限りがあるので振り返る時間も限りがある。エラーや失敗をしっかりと考えるのはシーズンが終わってからになると言う。

彼は先輩後輩に限らず誰とでもフレンドリーと言うイメージがあるが、そう言う間柄になるまではフレンドリーでは無いと言う。一緒に食事に行ったりして仲良くなってからフレンドリーになると言う。礼儀知らずに見えるが、(僕だっらら仲良くなっても先輩とはフレンドリーにはなれない)これはそう言う時代を生きてきた証だと思う。

「~プレッシャーに打つ勝つ心の深求~」

「野球というスポーツは、メンタルが非常に大事だ。

ここまでにも触れてきたが、バッティングは7割の失敗と向き合うことからのがれるのは難しく、気持ちの切り替えが求められる。

一方で、守備はミスが許されないというプレッシャーに勝っていかなけらばいけない。しかも、143試合+αという長丁場。体だけでなく,精神的にも相当、疲弊する。

だから、試合でのオンと、そうでないときのオフを、自分でうまくコントロールすることが肝心だ。

試合のあとは、チームの勝敗や個人の結果にかかわらず、すぐに寝つくことはできない。気持ちがガッと入り込んでアドレナリンが出ているので、頭が冴えている状態がしばらく解けないのだ。

ナイターだと、試合が終わって早くに家に帰ってくるときでも、夜中の12時くらい。だが、すぐに寝ようと思って、ふとんに入っても、2,3時間寝れないなんてザラにある。そういうときは、眠くなるまで動画共有サイトを見たりしながら、気持ちが落ち着くのを待って、やっと寝られる。

そんな毎日だから、スイッチを入れっぱなしでは、もなたない。メリハリをつけられるようにならないといけないと思ったのは、入団2年目あたりから。シーズンを通して試合に出させてもらう中で、痛感した。

僕の場合は、ユニフォームがスイッチになっている。」

と菊池は言います。

ユニフォームは新しいものより、少し着ていたもののほうが好きだそうです。

プライベートの服は赤ではなくグレーや黒、白系の服ばかり

車も白

休みの日は野球から離れる。
趣味を大事にしていて、釣りだそうです。

睡眠時間をしっかりとるようにしている

釣りに行かないときはお世話になっている方のところに顔を出す
野球とは違う人の方たち。
そう言う人達とは野球とは関係のない話題になる
だからニュースを見るようになった

信頼する人たちから
「お前に元気をもらっているよ。」
と言ってもらったり、
逆に元気を菊池自身がもらっていると感じる事が多くある

元気はもらうことも、あげることもできる

そんな思いから、
療養中の赤松真人にテレビ電話を繋いだ

菊池のメンタルを綴った文章、面白かったです。

「~型にはまらない打撃の力と戦略~」

菊池涼介の(広島の)攻撃力の真髄が書かれております。

菊池は
「ヒットを打つ技術に関して言えば、完璧というものはないと思っている。もし、そういう選手がいれば、毎打席ヒットを打って、打率は10割でなくてはおかしくなる。しかし、実際には日本のプロ野球では10割どころか、4割を打ったバッターも存在していない。」

日本のシーズン最高打率は
阪神バースの3割8分9厘
日本人ではイチローの3割8分7厘

生涯打率では
ロッテのレロン・リーの3割2分
2位が若松勉の3割1分9厘

現役選手では
ソフトバンク内川の3割1分

バッティングは10回のうち3回ヒットを打てば3割バッターと言うことで1流
つまりほとんどの選手が10打席のうち7回、8回はヒットを打つことに失敗している

だからいかに凡打を意味のあるものにしていくかを求めていかなけらばならない。

凡打でもしっかりミートして野手の正面にいったものと
タイミングが崩せれて完全に打ち取られるのでは、
相手に与える印象が違う

進塁打もあるし
バントも犠飛あるし
7割のアウトをどうやってチームの勝利につなげて行くのか?
それが他の球団よりできていることが、リーグ優勝連覇できた一因だったのだろう

「10回に3本のヒットよりも、10回の進塁打に価値がある」

菊池涼介は自分の役割を2番バッターとして前後のバッターをつなぐことと心得ている

彼も打撃タイトルを獲りたいし2000本安打も打って名球会に入りたい

『でも、チームの一員として優先すべきは「個」よりも「チーム」だ。』

「僕の中で2番バッターの理想というものは、ベンチのサインや要求を100%遂行できる選手、バント、セーフティバント、ヒットエンドラン、進塁打など、様々にあるリクエストを、きっちりとこなしたい。」

野村謙二郎監督時代や緒方孝市監督1年目まではバントのサインが多かった
しかし16年17年とバントのサインが減った
それはバントしなくとも進塁打を打てるという監督の信頼であろう


走塁に関しては河田コーチの影響が大きかったと言う

『河田さんが掲げたのは「全員で1点、1点挙げていく」ということ。16年からホームベース上での衝突防止のための「コリジョンリール」が導入され、1点を奪いにいく走塁が、より重要になった。」

『河田さんの教えは僕らもすごく納得できる内容で、なおかつ「走力は関係ない」というものだった。』

『「足が遅いからダメとか、足が速いからリードは小さくていいとか、そういうことじゃない」と言われていた。そうやって足が遅い人も速い人もみんな同じ走塁をしていたからこを、得点が伸びたんだと思う』

「17年のチームの得点は、736点を記録した。16年の684得点もリーグ2位の東京ヤクルトと90点も開きがあったのだが、17年は同2位の横浜DeNAを139店も上回った。チーム打率、本塁打、糖類ともリーグ1位だが、それらは16年の数字とほとんど変わっていない。そうした中、得点を50点以上も増やせたのは、1点を取りにいく走塁がさらに浸透した成果だったと思っている。」


「~異次元プレーを生む技術と哲学~」

「定位置に疑問を持つ」
菊池は高校時代は基本サード
大学時代はショート
を守っていた

カープに入って1年目に東出怪我をし、セカンドで出させてもらう事が増えた
そのころはカバーリングもきちんとわかっていなかったと言う

気持ちに余裕が出てきたのは3,4年目
ふと思った
『なんで、こんな前に守っているのかな?』
「正面に飛んできたセカンドゴロを普通に捕球したとき、打者はまだホームベースと1塁ベースのあいだの真ん中あたりを走っている」
『これなら、もう少し後ろで守っていてもアウトにできる。その分、ヒットゾーンを狭くすることが出来る。』
「セカンドを守るようになった中で、ポジショニングを変えるようになったのは、そんな単純な発想が始まりだった。」

当時の監督の野村謙二郎もコーチも自由にやらせたと言う

「積み重ねた経験が、ポジショニングの精度を上げる。」

マツダスタジアムは天然芝
人工芝の打球は球足が早い
走者の足の速さ
ピッチャーの投げる球種
いろいろな事を考えてポジショニングを変えていると言う

「他人は気にせず、昨日の自分を超える。」
『どんな選手を目指していますか?』
東京出身で小さい時は巨人を見て育った菊池は、
仁志敏久に憧れを抱いていた
入団して内野守備走塁コーチだった石井琢朗
それらを目指していたけれど、
3年目あたりから
『誰かを目指しているということはありません』
と返すようになった

捕殺の数は意識している
14年が535個
13年が528個
16年が525個
トップ3をすべて菊池が占めているのだが、
欲を言えばトップ10まで独占したいと言う

16年オフに球団本部長から、
『守備だけで、100打点以上の価値がある。」
と言ってもらった


「~カープ大変革の過程で見えた境地~」

2011年のドラフトで菊池が入団した時、

「カープにはいないタイプだね」

と言われたそうだ

その菊池はカープ球団の雰囲気が重いと感じ、

思い切って声をいろいろと出したそうだ

その時の内野守備・走塁コーチの石井琢朗氏も同じように声を出す人で、

菊池の声出しを後押ししてくれたと言う

今では名物のマツダスタジアムでのヒーローインタビュー時の水かけ、

菊池が始めたと言う

当時選手会長の梵英心氏も、

「今日は誰が行くんや?」

と言ったそうだ

そんな積み重ねで、

カープは新入団選手がすぐに馴染めると言う

菊池涼介が入団してきた時は、

まだ先輩が怖く(威圧感が強く)、

構えてしまったと言う

そんなチーム内雰囲気が変わった

14年オフに、

緒方監督に、

丸と菊池でチームを引っ張って欲しいと言われた菊池

丸と話し合い

凡ミスはしないようにとか、当たり前の事を当たり前にやろうとか、確認したと言う

17年からは田中も加わった

菊池涼介はコーチにも思った事は言う

そんな菊池涼介に選手会長の小窪哲也は、

「どうにかしてほしいなら、俺も上の人なり、しかるべき相手に話してやるから、言葉には出さないようにさせてくれ。なにかあれば、俺に言ってこい。」

と受け止めた

菊池は自分自身をリーダーでは無いと言う

リーダーはしっくりこないと言う

菊池自身はどちらかと言うと楽しくやるタイプ

リーダーは真面目で黙々とやるタイプが良いと言う

黒田氏と新井氏の存在はデカイと言う

いろいろ学んだと言う

カープは昔は投手と野手の仲が悪かったらしい

今は

一緒に食事に行く機会を作っていたり、

オフのリハビリキャンプでさっくばらんに話している

そんな結束が、

ミラクルな逆転劇を生んでいると言う


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