東京人の広島カープ応援奮闘記

東京人です。広島を好きになったのは、1986年の日本シリーズ、第1戦引き分けの後広島3連勝、後4連敗で敗戦したあの時です。家族は西武デパートが安売りをするので西武を応援していました。子供だった僕は「赤い方かわいそうじゃん」と思い、心の中で一人カープを応援していました。が、3連勝の後、4連敗。野球に興味のなかった子供でしたが、初めて真剣に見た野球で、怖さと魅力を覚えました。それ以後、野球の大ファンになりました。子供心に、カープが日本一になるまでカープを応援すると決めました。まだ日本一になっていません。もう一生カープファンです。 2連覇しました。僕の目標は広島黄金時代の到来です。毎年優勝争いに絡んで、そして優勝して、日本一になる。 東京人ですが、広島の試合はradikoで毎試合欠かさず聴いてます。テレビ中継があるときはもちろん見るし、毎年10試合近くはチケットを購入し観戦に行きます。 東京人の熱烈広島ファンの奮闘を辿るブログです。

2019年11月

2005年のシーズンに向けた準備は、
2004年の開幕戦で5点のリードを守れなかった時から始まったと言う

黒田氏は自ら電話した
「広島東洋カープの黒田博樹です。雑誌を見て電話しました」

電話した先は東京にある「上達屋」
主に動作解析でスポーツ選手の技能を向上させる施設である。
黒田氏の依頼は
「球持ちを長くしたい」
そらからあらゆる試合の映像を送り、
ピッチングフォームを徹底的に解析してもらった

2004年のシーズンが終わると、
定期的に上達屋のトレーニング施設に通い、
理想的な骨盤の動きを体に覚え込ませるトレーニングを積んだ

メジャーでローテを守れたのも
カープ復帰後41歳まで先発で投げれたのも
解説者が「理にかなった無理のないフォーム」と絶賛するこのフォームのおかげで、
その基本形はこの頃出来上がったのだと思う

徹底的に自分を研ぎ澄まし、
妥協の無い野球人生を送った黒田氏

その黒田氏がテレビ解説者である著者とのやり取りでこんな事があった
その頃若手だった著者は、
黒田氏に先輩に連れられ関係がスタートした時点だった
「おもろいやつ」
と認識され交流が始まったころだ
食事をしている時選手のプロフィールの話になった
出身地や球歴など、
選手名鑑に乗っているような基本情報だ
黒田氏はこういった情報にめっぽう詳しい
「誰と誰が大学の先輩後輩とか、高校で誰と誰が対戦しているとか、そこにもドラマがあるからな」
こういった情報も伝える上では大事な事だと黒田氏は言っていた
そしてこの時は食事の席で、そのプロフィールがクイズになった
どんどんと答えていき、
その後選手の出題範囲がパ・リーグに広がった
すると著者が答えられる確率が圧倒的に低くなった
その時著者は言い訳する
「いや、これパ・リーグの選手ですし」
この言い訳に黒田氏が反応する
「お前、交流戦でしゃべらんの?日本シリーズもあるやんか」
黒田氏は場の空気を悪くしないように優しい表情のままだ。しかし目が真剣なのは明らかだった。
「俺はこれで腕がちぎれてもいいと思って毎試合マウンドに立っている。お前はどれくらいの気持ちで放送席に向かってんの?」

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おめでとうございます。

シーズン始まる前に、

今季はエラー0を目指すと言って、

始まってすぐにエラーをしてしまった菊池、

ちょっと今季はゴールデンクラブ逃すかも?

と思っていましたが、

セにはセカンドの守備に置いて、

菊池のライバルはいないと思っているし、

ゴールデンクラブが妥当です

天然芝のマツダをホームにする広島は、

エラー0は正直難しいと思う

だから、

エラー0を目指すより。

チームに流れを呼ぶファインプレーとか、

失点をさせないファインプレーとか、

そっちの方が価値があると思う

菊池はその点に置いて、

非常に優れている

FAの動向が気になる菊池ですが、

海外FAをとるまでは、

広島にいて欲しいと強く願っている
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