東京人の広島カープ応援奮闘記

東京人です。広島を好きになったのは、1986年の日本シリーズ、第1戦引き分けの後広島3連勝、後4連敗で敗戦したあの時です。家族は西武デパートが安売りをするので西武を応援していました。子供だった僕は「赤い方かわいそうじゃん」と思い、心の中で一人カープを応援していました。が、3連勝の後、4連敗。野球に興味のなかった子供でしたが、初めて真剣に見た野球で、怖さと魅力を覚えました。それ以後、野球の大ファンになりました。子供心に、カープが日本一になるまでカープを応援すると決めました。まだ日本一になっていません。もう一生カープファンです。 2連覇しました。僕の目標は広島黄金時代の到来です。毎年優勝争いに絡んで、そして優勝して、日本一になる。 東京人ですが、広島の試合はradikoで毎試合欠かさず聴いてます。テレビ中継があるときはもちろん見るし、毎年10試合近くはチケットを購入し観戦に行きます。 東京人の熱烈広島ファンの奮闘を辿るブログです。

2019年12月

菊池広島残留です。

嬉しい

けどメジャーに挑戦する彼を見たい気持ちもあった

ちょっと複雑

安仁屋氏が、

20勝分の価値があると言った

菊池の守備は本当にそれだけの価値があると思っている

だからこそ、

メジャーでその真価を見せてほしかった 

打撃面でメジャーの判断は、

菊池は苦労するだろうと言うのが、

評価だったそうだ

しかし

今回は来年オリンピックだから残留も頷ける

今回報道では4年契約と聞いている

広島で野球人生を全うと言う契約にも見える

来年の挑戦は無いの?

オリンピックで活躍したら、

メジャーからオファーがあったりしないの?

僕はやはり複雑だ
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2015年2月16日午後一時
毎年カープが新人入団会見を行っているホテルの会場に、
黒田さんが颯爽と姿を現す。

「今までの野球人生の中で一番多い報道陣に戸惑っています」

地元広島の地上波で5局しかいないにもかかわらず、この日のカメラは約30台
この会見に先立ち、黒田さんが広島空港に到着した際のファンの大歓迎も、
全国ニュースのトップに扱われるほどだった。

「これでよかったかと思うこともあったが、
広島のファンを見て、
やはりこの決断でよかったという気持ちです」

「残り少ない野球人生において、カープのユニフォームで投げる一球のほうが、
重みを感じられるのではないか」

男気の溢れる言葉だと思います。

メジャーで79勝、
ドジャースとヤンキースで5年連続二桁勝利、
メジャー球団のオファーを蹴って帰ってきた
現役バリバリのメジャーリーガー

しかし黒田氏には実績による余裕などなかった
フィーバーにファンや報道陣が騒動を起こしても、
黒田氏は確実に準備を進めていく

復帰初登板で勝利し黒田氏はヒーローインタビューで、

「広島のマウンドは最高でした」

4月25日阪神戦

マウンドは阪神藤浪

黒田氏は送りバントの場面で3球連続体の近くを通る

3球目を避けた後、

黒田氏はバットを持ったままマウンドの藤浪投手に1歩2歩と進む

試合後

「お互い勝ちたいと思っている中、チームの士気のためにも僕がヘラヘラしているわけにはいかない。そうやって投げるのはもちろん理解できるが、戦う姿勢を持たないといけない」

「グラウンドで起こったことなので引きずることではない。いい素材のピッチャーだからこそ」

馴れ合いをしない、この黒田氏の姿勢も、魅力の一つです。

黒田氏は周りには見せないようにしていたが、

満身創痍でした。

そんな中追い求めるボールが変わった

若い頃の黒田氏の「目指すボール」

それは「絶対打たれへんボール」だった

その黒田氏がメジャーから8年ぶりに帰り、

取材やインタビューでこう答えている

「100球投げて全部思い通りにできたら、もうやることはない」

2016年シーズン、黒田氏復帰2年目

「去年は8年ぶりに帰ってきて
新しい野球に入っていく気持ちだった」

この年日米通算200勝達成

「あまり意識できてないけど、
それでも記録に対してリスペクトしないといけないし」

2016年9月10日東京ドーム

黒田氏登板の試合で優勝を決める

盟友新井氏涙を流しながらの感動的な抱擁

「夢のようで、出来過ぎだと思います」


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黒田さんは新たな挑戦をするために海を渡った。

メジャーリーグのキャンプインは日本より半月ほど遅い。黒田さんはアメリカに向かう前に広島市民球場で自主トレを行っていた。カープ球団から、オフシーズンのトレーニングに使用しても構わないという申し出があったからだ。

「戦いに行くようなものなので、楽しみというのはあまりない。」

近づけない空気があり

「向こうの野球をやるのだから、向こうのやり方で準備しないといけない」

滑るアメリカのボールや硬いマウンド、言葉の壁など、すべての環境が違う中で、黒田さんはメジャー一年目のシーズンを迎えようとしていた。

筆者は黒田氏の邪魔をしないようにと気を使い、メールも必要最低限にした。シーズン後の帰国時にともにする食事の席は、それはもう貴重な話ばかりだった。メジャーリーガーの体の大きさに驚いた話、地区優勝とはいえついに優勝を経験した喜び、シャンパンファイトの歓喜など。

筆者はオフに黒田氏にインタビュー取材をする担当を任される事になる。インタビューを行ったのは2010年1月。ドジャースでメジャー3年めを迎えるシーズンだった。それまでの2年間は二桁勝利に届いていない。ドジャースとの3年契約の最終年にあたるこの年の決意を、黒田さんは「集大成」と言う言葉で言い表した。

「今シーズンで、もしかすると野球ができなくなるかもしれない」

黒田氏は活躍しドジャースと再契約するのだが、一部でカープ復帰と言う報道も出ていた。

「手を挙げてくれるなら、当然帰ってくるところはひとつしかない」

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2006年オフ

黒田氏はブラウン監督の強い要請により、
肘の検査でアメリカへと渡る

ブラウン監督の人脈から、
診察をしてもらう事も難しい名医に見てもらう

黒田氏は思わぬ決断を迫られる

「先の事を考えて、手術しておいたほうがいい」

簡単な手術ということだったが、
黒田氏にとっては初めての手術で、
慎重になった

2日ほど現地で考え、
アメリカで手術を受ける事となる

全身麻酔で30分ほど、
内視鏡で「ねずみ」という骨のかけらを2つ取り去る

このオフ、
FA騒動で揺れ、
黒田氏の成績にはあまり触れられていなかった
2006年13勝6敗1S防御率1.85投球回189、1/3完投7
個人タイトル最優秀防御率
防御率1点台も快挙だが、
100球前後が交代のメドの起用法で、
完投7は驚異的と言っていい

「ピッチャー心理として
バットに当てられたくないという怖さがあったが、
当てられても内野ゴロを打たせられるというか。
なんかひとつ殻を破れた気がした」

メジャーから戻ってきたときの投球スタイルだと言われているが、
その土台は海を渡る前からある程度確率されていたのだ

プロとしてのキャリアが10年を過ぎ、
30代になった黒田氏は、
ピッチャーとしてさらに一段階上のレベルに到達していた

黒田氏は2007年開幕、
長谷川良平さん以来、
実に50年ぶりとなる5年連続の開幕投手を務める事となる
半世紀を超えるカープの歴史において、
5年連続で開幕投手を努めた投手は、
長谷川良平さんと黒田氏の二人しかいない。

2007年オフ
黒田氏はシーズン終了後、
手術した右肘の再検査のために、
渡米する

「向こうで見てきたワールドシリーズの雰囲気を
この球団で体験できたらと思う」

世界最高峰と言われるアメリカ・メジャーリーグの舞台
黒田氏はFA宣言し、
代理人と契約する
メジャー複数球団からオファーが高い評価で届き、
本格交渉に入る
そしてカープ史上初となるメジャーリーガー誕生が報告される

この時カープファンへの想いを聞かれた黒田氏は、

「もう・・感謝の気持ちでいっぱいです」

メジャーの入団会見
3年契約年俸総額約40億円と言う大型契約
外国人に囲まれて行った会見

「広島東洋カープから来ました黒田博樹です」

アナウンサーである筆者の先輩がこう言う

「広島は黒田博樹を失うのではなく、
どこまでも進化する男の目撃者になるかもしれない」


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