「いまなぜカープなのか」について、
人々の意識から生まれる社会の風潮や個々の因果関係から、
その方向性のようなものを導きだしてみたい。
これを7つの側面から捉える。

①社会の風潮
戦後の日本社会は、東京という大都市を中心に回ってきた。
中央集権とでもいうのだろうか。中央にドッカリと東京が君臨していて、
大阪、名古屋、福岡、などがこれに対抗する形となっている。
地方都市というのは、よほどのことがない限り、
注目を集めることがない。

ところが、ここ5,6年前から、特に、そういう流れを面白くないと感じる人が増えてきた。
このムーブメントは、社会や政治の流れとも一致している。

プロ野球の世界でも、巨人ばかりが野球ではない。どこか面白いチームはないものだろうか。
この際は強いチームでなくてもよい。弱くても、応援のしがいのあるチームがよい。
そんなファンの目先にあったのが、カープなのではないか。
このチームは、若い選手が突然出てくる。何やら、知れば知るほど奥が深い。

②ヒロシマの意味
広島は、世界ではじめて原爆を投下された街である。
その地で1つのスポーツ文化のようなものが生まれた。
カープというチームには、その芯の部分で、どうしても離れられないものがある。
そもそもスポーツというのは、
打ちひしがれた人々の心を癒やすのに適している。
そのことを知りたいのなら、
広島に来てカープを応援してみると、
うっすらとでもそれを感じることができるのではないか。

③球団経営
カープ球団は、日本のプロ野球メジャー球団のなかで、唯一、親会社を持たない。
その結果、球団経営についても、他の⑪球団とは一線を画す。
他の11球団は赤字を出しても、
親会社がそれを補填することができる。
親会社のPRに役立つという大義名分が成立するからである。
ところがカープの場合はそれが成立しない。
そうなると大きなバクチに出ていけない。
つまり健全経営が求められるのである。
大金をはたいて、
活躍するかしないか分からないような大物選手を獲得するなどは、
もってのほかなのである。
その結果が、
「選手は自前で育てる」「FA選手は追わない」
などの球団方針を生むことになったのである。

④チームの戦い方
カープ選手の育成については、揺るがぬ方針がある。
つまり最初から、それなりの実力を備えた高額の選手を獲得してくるのではなく、
まだ無名の、年俸に関心を持たない選手を探してきて、
鍛え上げるという方針なのである。
こういう選手たちが活躍できるのは、
カープという独特の土壌があるからなのではないか。
こういう選手の使い方によって、
現場では、思わぬストーリーが展開しはじめる

⑤イケメン選手たち
2010年。
その現象は、カープが試合を行うすべての球場で起きるようになったのである。
1試合に一度だけ、球場内に地響きのような完成が湧き上がるようになったのである。
それは場内アナウンスで「代打・前田」が告げられたときだった。
彼はダッグアウトから打席に入るまで、相手投手を一度も見ない。
まるで役者が舞台に登場してくるように、球場内の緊迫感のある空間を作り上げた。
確かに、前田智徳は、歌舞伎役者のようなイケメンである。
ただそれを主な理由として、場内が盛り上がっていたわけではない。
カープのイケメン選手、
それは外見を意味しない。
鍛え上げられた肉体と精神。そこから生まれる極上のドラマ。
その様相に対して声援を送っていたのである。決して、その逆ではない。

⑥赤い魔力
プロ野球12球団のなかで、純な赤をチームカラーとしているのは、
カープだけである。
カープの赤は、お祭りのハッピなら許されようが、日常生活のなかで使うにはあまりに目立ちすぎる
実は、その無謀さ、派手さ、明るさが、若い人の心に届いているのではないか。このくらい派手にやってもいいのではないか。カープの”赤”は、そういう色のようにも見える。

⑦応援スタイル
プロ野球12球団のなかで、カープくらい、バラエティに富んだ応援スタイルを創り出してきた球団はない。
はじめて球場でトランペットのメロディ音を響かせたのは、あの”山本浩二のテーム”だった。またその山本浩二の話によると、はじめて球場でジェット風船を飛ばしたのも、甲子園球場のカープファンだったという。
いまでは、ファンが交互に立って応援するスクワット。運動しているのは、グラウンド内の選手だけではないのだ、観客席のファンも一緒になって、汗をかきながら体を動かしている。
ただ願うならば、スクワット応援は、50歳までにしてほしい。もし1試合ずっとスクワと応援を続けたとすると、その回数は700回を超えるという。