2005年のシーズンに向けた準備は、
2004年の開幕戦で5点のリードを守れなかった時から始まったと言う

黒田氏は自ら電話した
「広島東洋カープの黒田博樹です。雑誌を見て電話しました」

電話した先は東京にある「上達屋」
主に動作解析でスポーツ選手の技能を向上させる施設である。
黒田氏の依頼は
「球持ちを長くしたい」
そらからあらゆる試合の映像を送り、
ピッチングフォームを徹底的に解析してもらった

2004年のシーズンが終わると、
定期的に上達屋のトレーニング施設に通い、
理想的な骨盤の動きを体に覚え込ませるトレーニングを積んだ

メジャーでローテを守れたのも
カープ復帰後41歳まで先発で投げれたのも
解説者が「理にかなった無理のないフォーム」と絶賛するこのフォームのおかげで、
その基本形はこの頃出来上がったのだと思う

徹底的に自分を研ぎ澄まし、
妥協の無い野球人生を送った黒田氏

その黒田氏がテレビ解説者である著者とのやり取りでこんな事があった
その頃若手だった著者は、
黒田氏に先輩に連れられ関係がスタートした時点だった
「おもろいやつ」
と認識され交流が始まったころだ
食事をしている時選手のプロフィールの話になった
出身地や球歴など、
選手名鑑に乗っているような基本情報だ
黒田氏はこういった情報にめっぽう詳しい
「誰と誰が大学の先輩後輩とか、高校で誰と誰が対戦しているとか、そこにもドラマがあるからな」
こういった情報も伝える上では大事な事だと黒田氏は言っていた
そしてこの時は食事の席で、そのプロフィールがクイズになった
どんどんと答えていき、
その後選手の出題範囲がパ・リーグに広がった
すると著者が答えられる確率が圧倒的に低くなった
その時著者は言い訳する
「いや、これパ・リーグの選手ですし」
この言い訳に黒田氏が反応する
「お前、交流戦でしゃべらんの?日本シリーズもあるやんか」
黒田氏は場の空気を悪くしないように優しい表情のままだ。しかし目が真剣なのは明らかだった。
「俺はこれで腕がちぎれてもいいと思って毎試合マウンドに立っている。お前はどれくらいの気持ちで放送席に向かってんの?」