東京人の広島カープ応援奮闘記

東京人です。広島を好きになったのは、1986年の日本シリーズ、第1戦引き分けの後広島3連勝、後4連敗で敗戦したあの時です。家族は西武デパートが安売りをするので西武を応援していました。子供だった僕は「赤い方かわいそうじゃん」と思い、心の中で一人カープを応援していました。が、3連勝の後、4連敗。野球に興味のなかった子供でしたが、初めて真剣に見た野球で、怖さと魅力を覚えました。それ以後、野球の大ファンになりました。子供心に、カープが日本一になるまでカープを応援すると決めました。まだ日本一になっていません。もう一生カープファンです。 2連覇しました。僕の目標は広島黄金時代の到来です。毎年優勝争いに絡んで、そして優勝して、日本一になる。 東京人ですが、広島の試合はradikoで毎試合欠かさず聴いてます。テレビ中継があるときはもちろん見るし、毎年10試合近くはチケットを購入し観戦に行きます。 東京人の熱烈広島ファンの奮闘を辿るブログです。

カテゴリ: 本の紹介

2014年シーズン、
一部の勇気あるプロ野球解説者が、
カープ優勝説を唱えた

2014年のカープは前季より一人多い六人の外国人選手でスタートした。
実績のあるバリントンとミコライオ
技巧派中継ぎフィリップス
野手陣にはエルドレッドとキラ
練習生だったロサリオ

その後球団はシーズン途中にももう一人の外国人と契約を交わす
ヒースである

そして外国人はフル稼働し、
本塁打と打点の2冠のエルドレッドを2度も2軍に落としたり、
投手陣のフル稼働もチームを救った

2014年のカープを語る時、
キクマルコンビの話を抜きには語れない
この二人は連打が多く、
相互刺激装置のようなものがあったと考えられる
これはチームを強くした

カープは集中打での逆転が多くなった

しかし交流戦前までトップだった位置も、
交流戦は最下位で首位を明け渡す

その頃のカープ女子の応援ぶりは大変なものだった
この現象は関東だけのものだと思っていたが、
福岡でも札幌でも状況は同じだった

8月20日未明、
広島県北部で土砂災害が起きる
そして広島に戻ってきた8月22日、
全員が喪章をつけて戦うことになった
前田健太は完封する
本来では分業制が確率された現代の野球では、
リリーフへと繋いで行くのだが、
彼は
「完封しか意味がないと思っていました」
と言い広島を盛り上げる

この年広島は3位でクライムックスを阪神と戦い
惜しくも敗れる

これで野村謙二郎の監督としての仕事は終わりとなる

そして2015年から緒方孝市監督就任となる

カープ選手には「すべての選手は高橋慶彦に通じる」というようなところがある。
どの時代でも、カープというチームは、走る1,2番がチームを引っ張っていた。

カープ黄金時代の象徴は、山本浩二と衣笠祥雄であるが、
この2人もよく走った
二人の盗塁数は、山本浩二が231、衣笠祥雄が266
衣笠祥雄に至っては、盗塁王を獲得している

大雑把に言うならば、貧乏球団はよく走る
プロ野球というのは、金持ち球団がどっしり構え、それに向かって貧乏球団が走り回るというのが、1番面白い構図なのではないか。

ブラウン野球の頃からカープの野球が面白くなってきた。
彼の評価は高くはないが、
今日のカープ野球の基礎の一部は、
ブラウンが築いたものだと思っている。
その采配は、
カープだけでなく、
日本球界全体に影響を与えた。
彼は投手の方は消耗するものという考え方をベースに、
徹底した投手の分業制を敷いた。
攻撃陣で言えば、
彼は消して打順を固定しなかった。
出塁する確率が高い順に並べただけ、
と言い、
1番緒方孝市2番前田智徳、
などの斬新な打順を敷いた

こう言う考え方は、
次の野村謙二郎野球にも引き継がれた
ブラウン采配を日本流に作り直したのが、
野村謙二郎だったと言ってもよい
広島におけるブラウン人気は根強かった
カープ女子というよりも、
もの珍しさを好む中年女子に人気があった
注目すべきは、
ブラウン野球によって、
かつてサラリーマンを中心としたおじさん族が中心だったファン層に、
新たな若い主婦やOLなどが加わってきたことである。
恒例のカープカレンダーにブラウン語録が付け加えられた。
後にも先にもこれほどよく売れたカレンダーはない。

野村謙二郎は目標はAクラスでは無く優勝だと言った
カープには日本一のファンがいて、
新設2年目の日本一の球場がある
後は日本一のチームを作るだけと言った
1年目は外国人も全く機能せず5位
2年目も外国人が機能せず5位
3年目はバリントン、サファテ、ミコライオらを起用し、
クライマックス争いをする
4年目はついに3位
しかもクライマックスファーストステージで阪神を撃破
この本には野村謙二郎野球について詳しく書かれている
詳しくは本を読んで下さい

もしこの世に「カープ野球」というものがあるのかと聞かれたら、
筆者は躊躇なく「ある」と答える。

具体的にそういう選手を挙げて説明しなさいと言われると、
答えは意外と簡単である。

オールドファンなら、
はじめに高橋慶彦の名前を挙げて語り始めるのではないか。
彼は単打で塁に出ることが多かった。
そして常に次の塁を狙ってスタートする構えを見せていた。
カープ野球というのは、山本浩二や衣笠祥雄の豪快な打撃ではない。
全身を使って激しく動く、情熱的で純なベースボールのことを指す
監督の古葉竹識はモデルを阪急の福本豊とし、
コーチ陣の反対を押し切り彼を内野手にコンバートし、
スイッチヒッターに変更させた
彼の猛練習ぶりは伝説となった
それは伝説だけに終わらず、
カープの伝統として実践されるようになった
選手会長になった彼に事件が起こる
1988円開幕前の事
カープ球団は毎年選手と球団職員が一堂に会し激励会をするのだが、
その年は日程の関係で試合の前日に設定された
選手会長の高橋慶彦は日程の変更を申し入れたが、
日程は変更されず、
その激励会に高橋慶彦の姿はなかった
結果、彼は2週間の謹慎処分を受けた
その先の結末は、
彼はトレードに出された

その他、
野村謙二郎
前田智徳
緒方孝市

計4人がカープ野球を創った男として紹介されています

2014年に突如脚光を浴びたカープ女子は、
プロ野球界に少なからず影響を与えた

他球団も若い女子層の開拓を狙って、
戦略を変えたと言う

著者はこう言う
いまの日本社会では、女性の力が大きくモノを言うようになった。
カープ女子は、その省庁なのではないか。

テレビ中継でもカープ女子の姿を追う
実況アナウンサーもカープ女子をネタにする
それで視聴率が上がればとの計算だ

カープ女子の登場で多くのメリットが生まれた

カープ女子はビールに紙コップではなく、ワインのペットボトルで野球を楽しむと言う
お洒落で可愛いスタイルで野球を楽しんでいると言う

カープの選手はファンとの交流イベントに積極的に参加している
それだけファンとの距離が近い
その辺りは会いに行けるアイドル、AKB48にも同じことが言えるのではないか

父の影響でファンになった方には、
ルールに詳しくなく、
ただ友人と一緒に応援するのが好きな人もいる

そして「赤」はカワイイと言う
だからグッズが売れる

一流企業とのコラボグッズも生まれている
江崎グリコの「ブリッツ」
箱に大きなカープ坊やの印刷

東洋水産の「マルちゃん赤いきつねうどん」
包装にカープ坊や

資生堂のカープ女子のメークを指導
カープ観戦ツアーの女性のメークを指導

オーナーはディズニーランドに足繁く通って、
戦略を練っていると言う
カープグズはディズニーグッズのようにカッコいい商品を目指していると言う


著者は迫勝則、
元マツダの社員で、
後に広島国際学院大学の教授。

この人の他の著作も読んだことがあるが、
非常に面白い文章を書く

カープ女子が何故広まったのか?
その原因はあるマンガだと言う
石田敦子氏が書いた、
「球場ラヴァーズ」
石田敦子氏は長い連載は無理だと思ったそうだ
日頃の体験だけでストーリーを描き続けることに限界があると思ったそうだ
そこからその後のシリーズが続くこととなり、
「私を野球につれてって」
「だって野球が好きじゃけん」
「こいコイ!」
とその連載は続く

このちょっとしたムーブメントは関東地区から徐々に広がり始めた
そもそものカープ女子の正体は、
カープを応援する女子高生、女子大生だと言う
そこに元気なアラサー、アラフォーの人たちが加わり、
現在のような構図となる

カープ女子という言葉を世に定着させたのは、2013年9月放送のNHK、
「ニュースウォッチ9」だったと言う。
スポーツコーナーでは無く、
社会現象として首都圏で急増するカープファンを取り上げた

カープ女子は関東から始まった
それは地元広島のカープ女子をも当然刺激し、
相乗効果を生んでいると言う

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